結婚相談所で婚活する女性たち

二OO八年に『「婚活」時代』を出版して以来、「婚活」はニOO八年、二OO九年の流行語大賞に連続ノミネートされ、NHKで「コンカツ・リカツ」(二OO九年)としてテレビドラマ化されるなど、一躍社会現象となりました。

最近では、男女ともに「婚活中です」という宣言もめずらしくなくなりました。わたしと白河桃子さんとで「婚活」という言葉をつくったわけですが、「パラサイト・シングル」、「フリlタl」、「引きこもり」と同じように、すでに現象としては存在していたのだけれど、適当な言葉がなかったため、今まで注目されなかったものなのです。

ちなみに、パラサイト・シングルは、一九九O年頃、親と同居してリyチな生活を楽しむ独身者が増えてきたという調査結果をもとにわたしがつくり出した言葉です。にんかっその後、白河さんの書いた『妊活バイブル』(粛藤英和氏と共著、講談社)の「妊活」もそうですが、いろいろな「O活」という言葉が大量に出てきました。

「妊活」は妊娠活こいかっ動のことで、そのほかにも、恋愛相手を探す「恋活(恋愛活動)」、自分が亡くなる時の準鼠備を行う「食肉(終末活動)」、子どもを入れる保育園を探す「保舵(保育園活動?)」、さらには、パ1トの働き先を探すことを寸ハi活勺ハI卜就職活動こなどと呼ぶようになっているそうです。これらの「O活」という言葉は、現代という時代を象徴しています。

それは、今までは自動的に起きて、特に考えなくてもうまくいっていた人生のイベントが、自ら主体的に選択し、積極的に活動しなければ達成できないものになっているということです。就活は、学校を出ればたいした努力をしなくても就職先が決まる時代が終わり、バブル崩壊後、正社員への就職が難しくなった時代に出てきた言葉です。

そして、近年出てきた妊活は、今まで自然に任せるしかないと思っていた妊娠を、結婚の高年齢化や出産時期の調整の必要などによって、意識的に行う必要が出てきたことが背景にあります。終活も同じです。一昔前は、自分が亡くなった時どうなるかなど心配する人はほとんどいませんでした。

子どもに看取られて先祖代々のお墓に葬られると信じて亡くなることができました。しかし、今、さまざまな形の葬儀を自分で選べるというだけでなく、黙っていたのでは、今まで通りの葬儀も受けられない可能性も出てきているのです。

保活も、昔は役所にお任せするしかなかったのに、今では、いつ、どこに、どのような保育園に入れるかを選択することが求められると同時に、活動しなければ、望む通りの保育園に子どもを入れられないどころか、保育園自体に入れることすらできなくなる事態も出てきました。

このことからわかるように、「O活」という言葉が流行する裏側には、人生のイベントをとりまく社会状況の変化があります。そして、その変化には、プラスとマイナスの両側面があります。

プラスの側面は、いろいろな人生のあり方を選べるという側面です。つまり、「O活」は、人生のイベントに選択肢が多くなっていることの反映です。しかし、それは同時に、望んでも実現しない機会が増えることでもあります。

普通の就職、普通の結婚、普通の保育園入園、普通の亡くなり方でなくてもよくなった反面、「自分で活動しなければ」その普通でさえも手に入りにくくなった時代になったことを意味しているのです。この状況を、社会学の専門用語では、「再帰性の増大」という言葉で語られます。これは、選択肢が広がっていろいろなライフスタイルを送ることができる可能性は広がったが、逆に今まで通りの普通の生活を送れる保証もなくなったことを意味します。

それは、普通の生活しか許されない代わりにそれが保証されていた時代は終わったということです(もっと知りたい人は、アンソニl・ギデンズやウルリッヒ・ベック、ジグムント・パウマンなどの社会学者の著作、もしくは、わたしの『希望格差社会』(筑摩書房)をお読みください)。選択股が少ない日本もう一つ、「O活」という言葉がたくさんつくられ流行した理由があります。それは、人生のイベントの選択肢が少ない、正しくは、中間的な選択肢が日本ではなかなか認められないということです。

たとえば、男女で一緒に暮らす、もしくは、子どもを育てるのに、欧米では、「同棲」や「未婚で子どもを育てる」という選択肢があります。結婚しなくてもかまわないのです。

そして、フランスや北欧では、多くの若者がまず、同棲してある程度経ってから、結婚をします。しないまま子どもを生み育てることも一般的です。

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